明治5年御用留概要


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1.明治5年赤浜村御用留の概要

赤浜村で記された、明治5年(1872)御用留の形状は、半紙横長帳で、91帖(182頁)。表紙を含めて125項目(画面)に分けて影印・翻刻(読み下し)・解読を紹介しています。

記載期間は、明治4年(1871)12月から、明治5年8月までです。


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2.慶応4年御用留以降の主な出来事

併せて紹介している慶応4年御用留が、慶応4年(1868)8月で終わっていることから、明治5年御用留との間に3年強のブランクがあります。少し重複しますが、慶応4年御用留後から明治5年中までの主な出来事を以下にまとめます。出来事のピックアップには 『埼玉県史』[※1ー年表]・『寄居町史』[※2ー年表]・『大宮市史』[※3ー年表]・『日本の歴史』[※4ー年表]・『会津歴史年表』[※5ー年表] ・『郵便の歴史』[※6]を引用しました。


出来事
慶応4年
明治元年
(1868)
6月 17日 岩鼻県が設置される
7月 17日 江戸を東京と改称し、鎮将府と東京府を置く
9月 8日 明治と改元し、一世一元の制を定める
9月 12日 駅逓規則が布告される
10月 13日 天皇、東京に到着、江戸城を東京城と改称し、皇居とする
12月 15日 榎本武揚ら、蝦夷地を占拠し、五稜郭を本営とする
明治2年
(1869)
1月 28日 大宮県が設置される
5月 18日 箱館・五稜郭戦争が終わり、戊辰戦争が終結する
6月 17日 版籍奉還を命じ、各藩主を藩知事に任命する
7月 8日 蝦夷地に開拓使を置く
8月 15日 蝦夷地を北海道と改称する
9月 29日 大宮県を浦和県と改称する
12月 5日 府藩県の紙幣製造が禁止される
明治3年
(1870)
4月 24日 種痘の普及を全国に達する
9月 19日 平民に苗字を許可する
11月 13日 徴兵規則を達する
明治4年
(1871)
1月 5日 社寺領上知令が布達される。寺社領を没収、府藩県直管とする
1月 24日 東京・京都・大阪間の郵便規則が定められる
3月 1日 東京・京都・大阪間で試験的に新式郵便が開業[※6-57頁]
4月 4日 戸籍法が布告され、戸長・副戸長を設置する
4月 17日 平民の乗馬を許す
5月 10日 新貨条例が定められ、旧1両を1円とする
5月 -- 陸運会社規則が制定される
7月 14日 廃藩置県の詔書が出される
7月 22日 寄留・旅行者の鑑札制が廃止される
7月 -- 寄居地区で、戸籍編成はじまる
8月 9日 散髪・廃刀の自由を認める
8月 23日 華士族と平民の結婚許可
8月 28日 穢多非人の称を廃し、身分職業とも平民同様とする
9月 -- 岩鼻県、各組合に62区までの番号をつける
9月 -- 高崎馬車運輸会社の乗合馬車<東京~高崎間>中山道を運行
9月 -- 文部省に博物局を置き、湯島聖堂を博物館とする
10月 3日 宗門人別帳(寺請制度)が廃止される
10月 12日 大蔵省兌換証券の発行が布告される
11月 14日 埼玉県を置く。県庁を岩槻とし、埼玉・足立・葛飾の各郡内を管轄する
11月 14日 入間県を置く。県庁を川越とし、入間・高麗・比企・横見・秩父・児玉・賀美・那珂・大里・幡羅・榛沢・男衾・新座・多摩の各郡内を管轄する
11月 22日 全国府県が改廃され、3府72県となる
11月 27日 県治条例が定められる
明治5年
(1872)
1月 10日 東海道に陸運会社が設置される
1月 11日 入間県、医学所における医師の修行を布告する
1月 14日 開拓使、兌換紙幣発行
1月 19日 諸道各駅に陸運会社を設立させる
1月 29日 身分族称を皇族・華族・士族・平民とする
2月 15日 土地永代売買の禁を解く
3月 8日 入間県、川越城本丸に県庁を開設する
3月 12日 一向宗を真宗と改称
3月 22日 入間県、鯨井勘衛(くじらいーかんえ)を蚕種大惣代に任命する
3月 27日 社寺の女人禁制をとく
3月 -- 入間県、大小区制を設置し、県内を11大区94小区に編成する
4月 9日 名主・年寄の称を廃止し、戸長・副戸長を置く
4月 25日 教部省、教導職を設置する
4月 25日 僧侶の肉食・妻帯・畜髪を許す
5月 15日 前橋・熊谷間に馬車運転が開業する
5月 23日 天皇、西日本の巡幸に出発する。~7月12日
5月 29日 東京旧昌平校内に東京師範学校が設置される
5月 -- 中山道郵便馬車の東京・高崎間が開業する
6月 3日 入間県、神社寺院明細帳の提出を命じる
6月 10日 入間県、深谷・大宮支庁を開設する
6月 18日 埼玉県、21名の郵便取扱人に7月1日に郵便を開始することを布達する
7月 1日 全国に郵便制度普及
7月 4日 壬申地券制公布。全国すべての土地に地券を交付することが達せられる
7月 10日 埼玉県、管内の伝馬所を廃し、中山道・陸羽道(奥州道)に陸運会社を開設する
7月 13日 入間県、伝馬所を廃し、熊谷・深谷・本庄に陸運会社を開設する
7月 20日 諸道とも伝馬制度を廃止
8月 3日 学制を公布、全国を8大学区とし各学区に大学校をおき、大学区を分けて中小学区に分ける
8月 18日 入間県、入間裁判所が開設される
8月 30日 宿駅制度が廃止される
8月 -- 入間県、各小区に公選戸長、各村に副戸長および准副戸長を置く
9月 12日 新橋・横浜間の鉄道が開業する
9月 15日 修験道が禁止される
9月 -- 官営富岡製糸場へ寄居町から8名の少女が伝習に行く
10月 2日 芸娼芸妓解放令。僕婢娼妓の年季奉公を禁止(人身売買禁止令)
10月 4日 官営富岡製糸場が開業する
10月 8日 東京・宇都宮間馬車会社が営業を開始する
10月 10日 各府県に区長・副区長を置き、給料などは民費とする
10月 -- 寄居地区で、地券交付始まる
10月 -- 入間県、深谷支庁に入間第8・9大区裁判所、大宮支庁に入間第10・11大区裁判所がおかれる
10月 -- 入間県、人力車・荷車に税金を賦課する
11月 14日 入間県、各大区に取締組を設置し、川越・白子・所沢・扇町屋・飯能・松山・小川などに見張番所を設ける
11月 28日 全国募兵の詔書・徴兵告諭が出される
12月 3日 太陽暦実施。12月3日水曜日を明治6年1月1日とする


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3.赤浜村が所属する県の変遷

御用留が記された赤浜村は、明治元年に設置された岩鼻県に組み入れられた後に現在まで、岩鼻県⇒大宮県⇒浦和県⇒入間県⇒熊谷県⇒埼玉県と所属が目まぐるしく変更を重ねてきました。

明治5年御用留の時点では入間県に所属し、大区小区制施行に関する御用留もみられます。


期日 県域 赤浜村の行政区 備考
中世より 武蔵国男衾郡赤浜村
明治元年(1868)
6月17日
岩鼻県 岩鼻県武蔵国男衾郡赤浜村
明治2年(1869)
1月27日
大宮県 大宮県武蔵国男衾郡赤浜村
明治2年(1869)
9月25日
浦和県 浦和県武蔵国男衾郡赤浜村
明治4年(1871)
11月14日
入間県 入間県武蔵国男衾郡赤浜村 ・明治4年7月、廃藩置県。当初3府302県が成立したが、同年末までに県が統廃合され、3府72県(同21年に3府43県に定着)となった
明治5年(1872)
3月
入間県武蔵国男衾郡赤浜村
第6大区9小区
・明治5年3月 入間県、大小区制を設置し、県内を11大区94小区に編成する
明治6年(1873)
6月15日
熊谷県 熊谷県武蔵国男衾郡赤浜村
第6大区9小区
明治9年(1876)
8月21日
埼玉県 埼玉県武蔵国男衾郡赤浜村
第6大区9小区
明治12年(1879)
3月17日
埼玉県武蔵国男衾郡赤浜村 ・明治11年(1878)に制定された郡区町村編成法の埼玉県での施行により、行政区域としての男衾郡が発足
明治22年(1889)
4月1日
埼玉県男衾郡男衾村大字赤浜 ・冨田村・牟礼村・今市村・赤浜村・西古里村・鷹巣村が男衾村に合併
明治29年(1896)
4月1日
埼玉県大里郡男衾村大字赤浜 ・大里郡・幡羅郡・榛沢郡・男衾郡の区域をもって、改めて大里郡が発足
昭和30年(1855)
2月11日
埼玉県大里郡寄居町大字赤浜 ・寄居町・用土村・折原村・鉢形村・男衾村が合併して寄居町が成立


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4.明治政府の布達

明治5年赤浜村御用留の内容で多くを占めるのが、明治政府からの多岐に渡る布達と、それに関する村方の対応を記した御用留です。以下に大まかに仕分けして紹介します。


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(1)行政管轄について

明治4年(1871)11月14日、浦和県が廃され管下の村々が埼玉県と入間県に分かれることが決定しますが[※1ー年表]、引き継ぎには時間を要したようです。その事務処理に関わる御用留が次の5件です。


次は、御用留に日付が記されていないのですが、明治5年(1872)3月に大小区制が実施され[※1ー年表]、赤浜村は第6大区9小区に振り分けられます。その事前調査で村毎の戸数を調べたものと考えます。



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(2)治安維持・取締・官員巡廻と規律

治安維持に関する御用留です。


同じく治安維持にも関係しますが、より具体的な取締り事項が記された御用留です。


3月に入ると入間県庁体制も整ってきたのか、この頃から官員巡回による取締・各種調査が始まったようです。巡回の先触・村方の対応・巡回先との書状荷物継送り等の御用留です。


規律・規則に関わる御用留です。



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(3)租税

租税に関わる御用留です。



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(4)地所調査・壬申地券・払下げ

明治5年(1872)10月に入ると、寄居地区でも地券交付が始まったようです[※2ー年表]。それに関わると思われる地所調査の御用留です。村方に記入させて提出させるための、ひな型の書状が目立ちます。


明治4年(1871)7月の廃藩置県により、幕府・旗本・藩の領地が明治政府に没収されます。その一部が民間の入札により払い下げられたことを記す御用留と考えます。



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(5)戸籍編成・送籍復籍規則

明治4年(1871)4月4日、戸籍法が布告され、戸籍編成のための戸長・副戸長を設置します[※1ー年表]。いわゆる壬申戸籍です。7月には寄居地区でも戸籍編成がはじまった[※2ー年表]とあります。10月3日に、それまで戸籍の役割を担っていた宗門人別帳(寺請制度)も廃止されます[※1ー年表]

そして、明治5年(1872)4月9日に名主・年寄の称を廃止し、村方の村政責任者は戸長・副戸長に一本化されます[※1ー年表][※4ー年表]。戸籍編成に関すると思われるのが次の御用留です。


戸籍編成にも関係しますが、次は送籍復籍規則を記した御用留です



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(6)貨幣

明治4年(1871)5月10日に新貨条例が発せられ、旧1両を1円とすることが定められました[※1ー年表]。6月16日から施行されたとあります[※4ー年表]。次は新貨発行に関する御用留です。



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(7)宿駅制度廃止・陸運会社・交通

明治5年(1872)7月10日に埼玉県、13日には入間県でも伝馬所を廃し、熊谷・深谷・本庄に陸運会社を開設[※1ー年表]、20日には諸道とも伝馬制度が廃止された[※4ー年表]とあります。

赤浜村は中山道の脇街道である川越往還の宿駅として伝馬機能が村の大きな業務を占めていました。その歴史が終わりを迎えることとなります。次は陸運会社移行に関する御用留です。



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(8)治水・水運・道路橋梁普請

治水・水運・道路・橋梁の普請(建設・保守)に関わる御用留です。



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(9)郵便制度

明治4年(1871)1月24日に東京・京都・大阪間の郵便規則が定められ[※1ー年表][※4ー年表]、3月1日に試験的に新式郵便が開業、その日の新暦にあたる4月20日が郵便記念日となっています[※6-57頁]

明治5年(1872)6月18日、埼玉県が21名の郵便取扱人に7月1日に郵便を開始することを布達しています[※1ー年表]。次の御用留は、入間県からも「来ル七月朔日ゟ全國一般郵便御取開ニ相成候ニ付」と、管下の郵便取扱人に布達したものです。



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(10)教育・学校

学校開設に関する御用留です。明治5年(1872)5月29日、東京旧昌平校内に東京師範学校設置[※1ー年表]の件も布達されています。



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(11)諸商売・産業育成・博覧会

商人・職人等の諸商売に関わる御用留です。免許鑑札・冥加金上納・職人手間代取り決め・株仲間廃止等々、内容は多岐に渡ります。


産業振興を目的とした博覧会の御用留が2件あります。

1件目は、京都博覧会の「博覧会品目」「開催宣言」。京都博覧会社から発せられ、入間県庁の添書で「有志之者、令出京可然事」と、積極的な出品を促すものです。


2件目は、文部省博物局主催の日本最初の博覧会『湯島聖堂博覧会』に関するものです。湯島聖堂大成殿を会場とし、名古屋城の金鯱(きんのしゃちほこ)が展示されたことでも知られています。好評のため会期を延長することを伝えた御用留です。



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(12)養蚕・生糸・富岡製糸場

横浜居留地の外国人との取引等で混乱する蚕糸業の統制のため、明治5年(1872)3月22日、入間県は鯨井勘衛を蚕種大惣代に任命します[※1ー年表]。それら取締規則の布達と、10月14日に開業する官営富岡製糸場に関する御用留です。



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(13)医師・医学所

明治5年(1872)1月11日、入間県は医学所における医師の修行を布告する[※1ー年表]とあります。それに関連する御用留です。



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(14)寺院・神社関係

明治4年(1871)1月5日に社寺領上知令が布達され、寺院・神社領を没収し府藩県直管となります[※1ー年表][※4ー年表]。寺院・神社関係の御用留が多数記されています。



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(15)祭礼・祭祀

祭礼・祭祀に関する御用留です。



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(16)陸海軍・兵学校

陸海軍に関する御用留です。



[引用資料]